北アルプス:穂高連峰 前穂高岳北尾根

日程 2008/1/3(木) 〜 2008/1/6(日)
山域 北アルプス:穂高連峰 前穂高岳北尾根〜明神主稜
ジャンル 一般・岩(雪山)
メンバー M.Su、T.J

記録

はるか眼下、ほの暗い梓川を見下ろしながら、甘く見ていた山の大きさ、たった二人きりの孤立感に胸を締め付けられるような思いだった。正月の北アルプス・前穂北尾根、トレースはない。三・四のコルに張った二人用テントはあまりにも小さく見え、降り続く雪に半分がた埋まりかけていた。五千尺ホテルの明かりがぼんやりと見える。明日はあそこまで帰れるだろうか…。

スケールの大きな山に行きたい。そう考えて、日本のアルピニズム史に不朽の輝きを持って聳えるクラシックルート、前穂北尾根に行くことになった。メンバーは私といつもの相棒友ヤン。二人とも正月の穂高は初めて。それで前穂北尾根とは…やはり厳冬の北アルプスは厳しく、そんな二人組にきっちりと山の厳しさを教え諭すこととなり、予定を過ぎて会の仲間や家族に心配をかけてしまう結果となったのだった。

八峰から前穂北尾根を望む

1月2日 名古屋から高山まで、3日 中の湯から慶応尾根下部

年末年始に伊豆半島でフリークライミングを楽しんだ後、一時間ほどで荷物を詰め替えて名古屋駅で友ヤンと合流、高山行きの高速バスに飛び乗る。年末の天気は荒れ模様で、大きな雪崩遭難が発生していた。猛烈な積雪に、途中敗退したパーティーの話もいくつか耳に入っていた。だんだんと回復してくるだろうが、冬型の気圧配置は依然として続いている。

東海北陸道も郡上のあたりまで来ると道の両脇にはかなりの量の雪が積もっている。雪が降り続く高山駅裏の公園に幕営。翌朝バスで中の湯まで。朝9時出発。釜トンネルを歩く入山者は多いが、ほとんどは上高地のスノーハイキングや大正池を撮影に来た写真家のようだ。

舗装路のようなトレースをたどって、徳沢を経て新村橋を渡るとトレースはぐっとさびしくなり、奥叉白谷に入るとあっさりと途絶えていた。仕方なくワカンをつけてラッセルが始まる。大きな堰堤を過ぎたあたりで対岸に渡って慶応尾根へ上がる。

慶応尾根に取り付く

ひざまでのラッセルでも、急傾斜の樹林帯で、新雪はちっとも踏み固まらずなかなかしんどい。尾根に上がったところが平坦になっており、「こりゃ最高のテントサイトだな。今日はここまでにしようや。まだ3日もあるんだし」と午後3時、行動を終了。雪がちらつくものの、風もなく穏やかな夜。

4日 慶応尾根から六峰

明日は早出だとの打ち合わせもむなしくまたも寝坊する。曇り空のもと、まだ体の硬いうちからラッセルが始まる。二人交代ではなかなかはかどらないが、森林限界を超えるころには雪もしまって歩きやすくなり、空も晴れてきた。気分が乗ってきてThe Monkeysの「Day dream believer」とかをデタラメな英語で歌いながら快調に飛ばす。

青空に吸い込まれるような登高に気分は高まるが…

午後1時ごろ、北尾根八峰。奥穂から槍、常念に蝶と大パノラマが広がる。この先の北尾根も白く輝いて見える。「さすがは日本のクラシックだな」などと言葉を交わす。荘厳な景観と快適な稜線歩きを楽しみながら六峰へ。時間は4時だし、目の前には五峰の岩場がそそり立っている。いま取り付けば日が暮れるのは間違いないので、整地してテントを張る。

夜も快晴。満天の星空が美しいが、寒気も厳しく、長く楽しんではいられないのが残念だ。

荘厳な山々をバックにぐったりする

5日 六峰から三・四のコル

明るくなるのを待って、五峰の岩場にかかる。たっぷりと雪がついていて、ラインが読みにくい上にホールドも残置支点も埋まってしまっている。やさしい岩場はロープなしで...などという甘い目論見はいきなり打ち砕かれ、出だしからロープを出して4〜5ピッチで五峰を超える。青空も見えるが風が強く、雲がかわるがわる山々を覆い隠す。雪が強く吹きつけ、サングラスの内側に入り込んで凍りつき、前が見えない。寒さも厳しく、1ピッチごとに指先の痛みにうめき声を上げる。

五峰から1回の懸垂を交えて、小さな雪のピーク(これが四峰だろうと思っていた)を巻き、次の岩峰(三峰と思った)へ。出だしでラインに迷う。左へ回り込んでみるが、傾斜のきつい雪の凹角は不安定に見え、踏み込む気がしない。手前のワイドクラックを試してみることにした。

いきなりかぶり気味のオフウィドゥスで苦しめられる。重装備でのアームロック、アイゼンでのヒール&トーはなかなか刺激的。スリングを掛けられる岩角にはこと欠かず、絶好のビレイ点となっている。これを越えれば山頂は目前、少しばかり残業すれば今日中に山頂を踏めるかな...などと考えながらさらに3ピッチほどロープを伸ばす。

まだ遠い山頂をうらめしく眺めやる(写真は4日のもの)

岩峰上に出ると雲がすっかりあたりを包み込み、降雪もかなりの量になっていた。目の前にはぼんやりと、しかし特徴的な三角形の岩場が黒々と立ちはだかっている。「まさか...」これが三峰か!? コルまで降り特徴的な露岩を見て、残雪期に来ている友ヤンが断言する。「三・四のコルに間違いないっす」

夕闇も次第に濃くなりつつあり、今日の行動はこれで打ち切るしかない。下山予定は明日。予定通りの下山はかなり絶望的だ。消沈しながら強風の吹くコルにピットを掘って幕営。テントの中で暖めても手の指先のしびれが収まらない。凍傷になりかかっているようだ。

山を甘く見たという思いを噛み締めながら、明日の行動について相談する。とはいえ、可能な限りスピードアップしてなるべく下ろう、としか言えない。できれば電波が届く所まで行ければいいのだが。しかし安全を優先して、無理をせずもう一泊することもやむをえないだろう。食料にはいくばくかの余裕があることを確認する。

雪は降りやまず、テントの上にもかなり積もってきた。入り口も半分ほど埋まりかけている。用足しに出たついでに除雪して、強風の中苦労してタバコに火をつける。梓川が眼下はるかに見下ろせる。冬の北アルプスは自分が思っていたよりはるかに、大きく厳しかったのだ...夏には多くの人が気軽に登っているところだから、何とでもなるだろうなんて、とんでもない思い違いをしていたものだ。下山予定を過ぎれば、会の仲間たちは心配するだろう。救助隊が出るかもしれない。なんとか明日は連絡ができるところまで行きたいところだ。

人里を遠く離れたところで本当の登山が始まる、といったのはメスナーだったか。ヒマラヤとはくらぶべくもないが、自分たちの力の小ささを思い知らされるには十二分に、北アルプスは大きい。タバコの煙をもう一息深く吸い込み、三峰の岩場を恨めしく一瞥して、テントにもぐりこむ。

6日 三・四のコルから上高地

岩場にかかるため念のため明るくなるのをもどかしい思いで待って、夜じゅう降った雪に埋まりかけたテントを掘り起こすようにして出発。にっくき三峰も朝日を浴びて美しい。風は強く、青空が見えたかと思うとあっというまに雲があたりを押し包んで視界を奪う。

あいも変わらず雪をかき、岩を掘り出しながらのクライミングが始まる。アックスを打ち込み、アイゼンを蹴りこむが、新雪は固まらず、その下の岩に引っ掛けるようにしてホールドにする。しかしそれがどんなホールドなのか、感覚を研ぎ澄ませてみてもまったくわからないまま、いちかばちか体重を預けていくしかない。支点もろくに取れず、不確実なクライミングが続く。

コンテを交えてスピードアップを図ろうとしたが、こんな調子でノロノロともどかしくロープを伸ばしていくしかない。

サングラスは凍りつき、ゴーグルの二重レンズの間にも雪が入り込んで役に立たず、裸眼で行動することになる。強風がフードを吹き飛ばし、吹き付ける雪に眉毛も凍りつく。何も考えず、上へ上へ、ひたすらに登り続けて正午に山頂。記念撮影どころかろくに立ち止まりもせずに、明神主稜へと足を踏み出す。岩混じりの急な雪面を下り、前衛峰、主峰と巻いて、U峰の岩場を登り返す。稜上から左のルンゼへのトラバース、急な雪面で下がスラブだったらどうしようとおののきながら足を踏み入れる。風は相変わらず強いが、天気はだんだんよくなってきて、V峰を巻いているころには陽光がまぶしいほどになっていた。

槍をバックに。これも4日。5日以降は写真を撮る余裕もなかった

ところが…W峰あたりから天候は一変、あたりは雲に包まれて真っ白、雪混じりの強風が吹きつけて目も開けていられない。つないだロープも真横に吹き流されている。X峰の岩稜をよろめきながら越えるころには日も暮れかかって薄暗くなってきた。

まともに立っていられないほどの強風。真っ白でまるで利かない視界に迫る夕闇。目の前には南西尾根と思われる急な雪面が延びているが…「どうする?」ビバークするか相談するが、この烈風の中、テントを無事張れるかどうかも怪しいものだ。せめてもう少し風の弱いところで…。

下山をあせる気持ちがあったことは否定できまい。もう少し下ってみようと決め、雲間に見え隠れする南西尾根へと下っていく。しばらくして日没。ヘッドランプをつけて下降を続けるが平坦な場所はなく風も収まる気配がない。と、突然雪に消えかかった踏み跡を発見。「俺の幻覚じゃないよな?」と相棒に確認したうえでありがたくトレースする。と、しばらくして踏み跡は途切れてしまう。ヤセ尾根をそのまま進むが急な崖となって切れ落ちている。巻き下ろうとして尾根を離れて雪面を下ろうとしてみたがあまりに急で雪崩れそうで恐ろしい。小一時間右往左往して立ち木に赤テープを見つけることができた。それをたどっていくと今度はフィックスロープが。しかしそれもやがて途切れてしまう。

尾根通しに行けるかどうか見ようと雪の上に足を踏み出した瞬間だった。突然足元が崩れて、尾根の側面の急な雪面を後ろ向きに転がりながら落ちてしまっていた…。

足が立ち木に引っかかって止まる。頭が下向きの状態から、苦労して起き直る。不安定な雪壁の途中で、木につかまっていないとまた落ちてしまいそうだ。心配して叫ぶ相棒に大声で応える。頭や背中を何かに強くぶつけたが、ヘルメットやザックのおかげでどうやらどこも怪我していないし、失った装備もない。

とはいえロープは自分で持っているので、この雪壁を自力で登り返さなければならない。さらさらの新雪の下は藪になっていて、バイルもアイゼンも効かない。まばらに生える立ち木をホールドに登り返すが、傾斜は体感で80度くらい、重荷がきつい。途中、腕くらいの太さの木がポッキリ折れていて、どうやらこれにぶつかったようだ。やや太めの木にマントルを返すと、手がかりがなくなってしまった。仕方なく1メートルほど斜め上の立ち木に、ランジ気味の一手。なんとかバイルを引っ掛けることができたが、生涯でもっともしょっぱいムーブだったことは確実だ。

時間の感覚もまったくないまま何とか尾根上に戻ることができた。踏み抜いた雪庇を見てみると、ほんの50センチほどしかない。ふたたび赤テープを探し出して、時折見失いながらも目印をたどる。これほどまでにテープの目印をありがたく感じたことはかつてなかった。やがて傾斜もゆるくなり、ゆるい谷状の地形に出ると、明瞭なトレースが。「岳沢へ90分」の看板も見つけることができた。風もいつの間にか止んでいたが、ここまできたのだ、上高地まで行ってなんとか連絡を取ろう。

トレースをたどって倒木の一本橋を渡ってしばらくすると圧雪された梓川沿いの旧林道に出る。つかれきった体に鞭打って最後の道のりを河童橋へ。橋のたもとについたときには熱いものが胸にあふれて、互いの肩を叩き合う。

さっそく携帯の電源を入れて留守本部に電話を入れると、担当者のうれしそうな声が返ってきた。「みんな心配して集まっていますよ!」仲間のありがたさに目頭が熱くなり、心配をかけたことを謝る。連絡が行って心配していた家族にもそれぞれ連絡し、翌日下山することにしてバスターミナルにテントを張ってもぐりこむが、興奮しているのか疲れきっているはずなのに眠れない。残ったガスを炊き続けてうつらうつらしながら夜を明かす。自分は手足とも痺れがひどく、何本かの手指には感覚がない。

7日 上高地から高山、名古屋へ

凄絶な下降を思って大正池から明神岳を振り返る

朝4時ごろに眠りについて、7時ごろ起床。それぞれの職場に連絡する。9時にバスターミナルを出発してあちこちがきしむ体を引きずるようにして釜トンネルを通って中の湯のバス停へ。相変わらず雪景色の高山の市街地では、人々は正月休み明けの日常に戻っているようだが、大きなザックを背負ったわれわれはどこか浮いてしまっている。

冬山に限らず、山はやっぱり厳しい。こちらの甘い考えや傲慢さをけっして見逃さない。バスの中で、痺れの取れない指先を見つめながら、「それでも、やっぱり山登りはいいな」…そう考えていた。

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