瑞牆山(ミズガキヤマ)

日程 2006/08/16(水) 〜 2006/08/20(日) 
山域 瑞牆山(ミズガキヤマ)、湯川
ジャンル フリー
メンバー T.J、M.Su
コース 2006/08/16(水)  不動沢
2006/08/17(木)  雨 
2006/08/18(金)  瑞牆山十一面岩末端壁「調和の幻想」
2006/08/19(土)  不動沢
2006/08/20(日)  湯川

記録

瑞牆山十一面岩末端壁「調和の幻想」(5.10a、5ピッチ)2006年8月18日 記:M.Su

テントを照らしつける強い陽光に目が覚めると、昨日の雨も上がり、植樹祭記念公園からは十一面岩が朝日を背に輝いている。「どうやら登らなきゃならんみたいだな…」と冗談半分につぶやいてみる。

粗末な朝食をかきこみ、装備をもう一度確認したあと、昨日確かめておいた末端壁取付までのアプローチをたどる。朝露に輝く樹々をくぐりぬけ、岩小屋を過ぎると、堂々たる末端壁の威容が目に入る。聖堂の門のようにも見える「調和の幻想」の一ピッチ目を見上げ、畏怖にも似た気持ちに頭をたれる。やがて意を決し、儀式のような気持ちでゆっくりとテーピングを巻き始める…。

クラッククライミングはすばらしい。小川山で、瑞浪の岩場で、人工物のない美しいクラックを見上げたときの感動をよく覚えている。乏しい収入にめげずカムを買いそろえ、親指の付け根に消えないアザをいくつも作り、テープを何巻も使い切った。かじかんだ手の痛みをこらえて決めた冬の日のハンドジャム。擦り傷だらけの肩がひりひりするのを我慢して風呂に入ったっけ。小川山で、憧れだった名ルートを登りきり、岩搭の上から放心したように眺めた廻り目平。どうしてだろう。クラッククライミングがこんなにも楽しいのは。それをまた確かめにここに来たのかもしれない。

ASCは先輩のいない山岳会だ。いや、いないわけじゃないが30代前半という平均年齢では、誰もがヒヨッコのようなものだ。しかたなく岩場に見苦しくトップロープを張り、技術書を読み漁った。「いつかはベルジュエール、スーパー赤蜘蛛、そしてエル=キャピタン」と冗談交じりにパートナーと言い合った。そしてけして一足飛びにではなく、ゆっくりと、おずおずと腕を磨いてきた、つもりだ。

「調和の幻想」は、クラックのマルチピッチとしては初級もいいとこではあるのだろうけれど、そんな風にやってきた僕たちにとっては、重要な目標でもあり、里程標でもあった。「アルパインのクラッシックルート」以上に、アルパインクライミングのエッセンスをもったルートとして。「君には登れないんじゃないかな」

ヨセミテにも行った親しいクライマーがいったきびしい一言が頭をよぎる。記録で呼んだ恐ろしいランナウトピッチのことも心にのしかかる。誰ひとり成功も、安全も保証してくれない。自己決定こそがアルピニズムの核心なのだと、見上げるだけで気づかせてくれる。まさに名ルート。とは少し大げさか。

ロープの結び目を確認し、両脇に金物をジャラジャラとぶらさげて一歩を踏み出す。置いていく時計を確認する。9時30分。昨日の雨の影響で出だしの階段状からして濡れている。まだ硬い身体を一段高いテラスまで引きずり上げて一ピッチ目のワイドを見上げる。

ワイドの中に走っている細いクラックにキャメを決めて、右側のフレークを手がかりに慎重に登り始める。ときどきワイドにニーロックを効かせたりはするが、苦しいワイドクラックのムーブはほとんど必要なく、フェイスのように登れる。薄っぺらなフレークにかませたカムは心の支えになるどころか、かえって不安をあおるような気さえする。とはいえさしたる問題もなくフィストが決まるところまで来ると一安心。よく効くジャムの連続ですばやくテラスに這い上がる。

そして2ピッチ目。懸念のとおり、昨日の雨でハンドクラックがばっちり濡れている。相方がリードする順番だが、数メートルも行かないうちに動きが止まる。どうやら濡れのせいでジャミングがずれて、手を切ったようだ。結構な血が流れている。テーピングが痛々しく朱に染まっている。降りるか?と聞くと、いや行きます、と頼もしい返事。なんとかのっこすとビレイポイントからは姿が見えなくなる。そして二たびの停止。どうやらスラブっぽいフェイスが濡れていてどうにもならないらしい。後日ではあるが、湯川のクラックで土砂降りの中を登りきった根性の持ち主である。そんな相棒の弱音であるから、不安はどうしても高まる。

手前のオフウィズスを試してみる、というコール。しばらくロープがもそもそと動き…そして三度目のストップ。かなりてこずっているらしい。時間に余裕はあるが、取り付きから見上げている後続パーティーの視線も気になる。やがてあきらめてテンションのコール。聞くとやはりスラブは濡れ濡れ、プロテクションも取れないので手前のワイドに入ってみたものの、それがまた悪いらしい。

やむを得ずリードを交代。ぼやきつつ濡れたハンド〜フィンガーのジャムでのっこすと確かに濡れている。コーナー手前のスラブにはよさそうなスタンスはあるがことごとくピタピタなのだ。見上げるとオフに相方がセットしたカムが残っている。仕方なくため息ついて半身をねじ込む。ううっ、せまめで苦しい。一気に心拍数が上がる。というのも、オフでは自分の心臓の音がどっく、どっくと本当に聞こえるのだ。なんとか上のガバに手が届くまで身体をずり上げて切り抜ける。まばらに草が生えたアルパインテイストなコーナーをのぼり、広いテラスに出た。

3ピッチ目、今度こそリードを交代。2ピッチ目で敗退して気落ちしたかと心配したが、気を取り直したようにスルスルとロープを伸ばしていく。浮石の階段状や、微妙そうなカンテ状のトラバースも難なくこなしている。露出感と高度感はあるものの、快適でクセのないピッチだった。いや、ほかのピッチがあまりにも個性的で、さらにフォローだったからそう感じただけだろうか?

4ピッチ目、5.10aの核心のピッチ。結構急なスラブ状に、三段くらいのハングが覆いかぶさり、境目はクラックになっている。クラックから行くか、スラブ=フェイスでいくか?とりあえず木登りしてダイクに乗り移り、リングボルトに誘われるようにトラバース。クリップしてスラブを見上げるとなんとかポケットが続いていそうだ。マントルムーブ、ポケットに手に足とか刺激的なムーブをこなしてクラックに合流。小川山でフェイスもやっておいて本当によかった。左手はハンド、右手はレイバックとか不規則な動きで左のテラスに。どのピッチもきれいにテラスで終わっている。

さて、いよいよ懸案の最終ピッチ。大フレークがばっくりと口をあけていてなかなか迫力がある。リードするか?いちおう相棒にきいてみる。「6番のキャメがここで売ってたら言い値で買うんだけどなあ」などとブツブツつぶやきながら、うらめしそうにフレークを見上げている。協議の結果、リードは私がすることに。やれやれ、とか言いながらちょっと高揚している自分がいたりして。アドレナリン中毒になりかけているんだろうか。

一段上がってキャメを一個決める。ここから15mくらいはプロテクションが取れないので、あんまり意味はない。集中を高め、気合を入れてレイバックに入る。一歩、また一歩。高度を上げていき、落ちることは考えないように努めながら、足裏のフリクションや体全体のバランス感覚に神経を研ぎ澄ます。ある意味、ボルダリングの感覚によく似ている。

見下ろさないように自分に言い聞かせていたのだが、途中のレストでうっかり見下ろすと一本目のカムははるか下。ああ、見なきゃよかった。途中、右のポケットに黄色いキャメを無理やりねじ込んでちょっと安心。無事に大フレークを登りきった。傾斜はさらに落ちるが、ここでもう一丁オフウィズスが登場する。

右肩を突っ込むが、今度は広めで苦しい。全身をツッパっていないと体がずり落ちそうだ。奥のほうに甘いフィストが決まり、4番のキャメがなんとかはまるが、体が上がっていかない。再び心拍数が上昇する。しばらく悪戦苦闘していたが、もうだめだ!と思った瞬間に体の力が抜けた。やばい!とキャメロットをつかもうと手を伸ばした瞬間、ストン、と足がついた。

なーんだ、50センチも上がってやしない。自分の間抜けさ加減に自嘲の笑みがこぼれる。冒頭の、ヨセミテクライマーの一言がまたも脳裏によみがえる。まだまだ修行が足りないようだ。

気を取り直してクラックをよ〜く観察。右上にホールドがありそうだ。今度は左半身でやや浅くニーロックを決め、少しずり上がってやや甘いカチホールドを取ってマントル気味に返す。はあ。あとはなんでもない10mを這い上がり、終了点にたどり着く。「ビレイかいじょおお!」向かい合うようにそそり立つ岩峰からのこだまが気持ちいい。

終了点からさらに岩茸でがさがさの一段を上がって、末端壁の頭に腰を下ろす。青空に雲が流れ、燕やトンボが飛び交うのをぼんやりと眺めている。のどが渇いたなあと思っていると、相方のポケットからパック入りのゼリーが出てきた。まさに値千金。時計は置いてきてしまったが、デジカメで時間を見ると一時を回っている。ちょっと時間がかかりすぎてしまったなあ。

下降でロープが引っかかり、ジャンケンで負けた相方がプルージックで登り返すというハプニングがあったものの、3ピッチで無事取り付きにたどり着いた。途中、有名なクライマーのS野氏がビレイしているのとすれ違う。

時間もかかりすぎ、またワイドをワイドっぽく(?)登れなかったり、まだ少し早かったんだろうか…。という気持ちはぬぐえないけれど、本当に充実したクライミングができた。

もっともっと、腕を磨いてまたここに来よう。そしていつかはあのトキントキンの十一面岩の先っちょにも行こう。そしてさらにその先へ…いや、まだ言わないでおこう。いまはまだ、胸のうちの憧れの小さなともしびにとどめておこう…。〈了〉

調和の幻想 1P目 調和の幻想 4P目
調和の幻想 5P目 調和の幻想 全景
湯川 台湾坊主 5.9 湯川 コークスクリュー 5.9

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